水戸地方裁判所 昭和52年(モ)420号 判決
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【判旨】
一債権者はその所有に係る日立市大久保町四丁目六二〇番宅地862.80平方メートルに居住し、債権者側で右土地と本件係争地との間に流れる川に橋をかけ、本件係争地をその南側に通つている県道への出入口として通行していた事実、申請の理由1(二)の事実及び同2前段の事実<編注――また、前記六二〇番宅地は、その北側を第三者所有の同所六一九番一ないし五の土地、東側を川を隔てて第三者所有地、南側を川を隔てて本件係争地を含む同所六二二番宅地、西側を債権者所有の同所六二一番畑、同六二一番一宅地の各土地にそれぞれ囲まれており、いわゆる準袋地にあたるので、債権者は、本件係争地に囲繞地通行権を有する。
しかるに、債務者らは、昭和五二年二月三日ころ、本件係争地上に約五立方メートルの石混土砂を積上げ、太竹を渡して柵を作つた外、立札を立てて債権者の通行を妨害した。>は当事者間にいずれも争いがない。
二<証拠>によれば、次の各事実が疎明される。
1 債権者は江戸時代以来先祖代々前記六二〇番宅地に居住し、右土地と本件係争地との間の巾約1.8ーメトルの川の現在コンクリート橋のある場所と同じ場所に、昭和二二年九月ころまでは山石四枚を渡して橋とし、殊に債権者先代豊吉は農業に馬車を使用していたためその轍がすべらないように右石橋の南西端に丸太をおいて土を盛り、馬車が通りやすいようにしていた。
昭和二二年九月ころ、債権者は右石橋の南西側二枚の石をはずしてコンクリート橋にかけ替え、更に昭和三七年五月ころには残りの部分もコンクリートでかけ替え、現在の橋となつた。以上のとおり債権者は先祖代々、本件係争地を通路として整備し、明治四〇年ころには県道となつた本件係争地の南側を通る公道への唯一の出入口として通行していた。
2 また、本件係争地の西南の方向で、別紙図画表示沢畠スエ方物置の西北の同所六二〇番宅地の川にそつた部分には、昭和二九年に債権者が老朽のため取壊すまで、草葺平家建の長屋門があり、右門を通つて本件係争地に出入していた。
3 債権者は同所六二一番宅地上の同人所有の建物二棟をそれぞれ申請外浜野利治及び景山守に賃貸し、同人らも本件係争地を唯一の出入口として通行している。
4 債務者は、本件係争地を昭和三七、八年ころまで陸稲などの脱穀作業場として、更に昭和四九年まで小豆、大豆などの乾燥場として使用していたが、これも債権者の通行を妨げる程のものではなく、しかも昭和四九年以降は債務者らが本件係争地を使用していないことは同人らが自認するところである。
5 <略>
以上の事実によれば、債権者はその先祖代々本件係争地をその住居からの出入口として通行して右土地の占有を継続し、債務者らの通行妨害のなされた昭和五二年二月ころも本件係争地を占有していたことが認められ、本件仮処分の被保全権利が疎明される。
(早井博昭 有満俊昭 平賀俊明)